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石川真理子の「凜と生きる」。第2回は、女性の本性について。

女性のありようを追求してきた石川真理子さんが、
ご自身の体験を重ねながら語りかけます。

 

真理子さん

 

作家・石川真理子
武士の家系に生まれ、明治生まれの祖母から武家に伝わる薫陶を受ける。文筆活動の傍ら、武士道や婦道についての啓蒙活動をおこなっている。代表作に『女子の武士道』がある。

 

女の愚かさには毒がある

 

じつは、私は自分が女として生まれてきたことが嫌でした。

武士道は仏教なくしては語ることができないため、
武士道を理解するためにそれなり仏教も学びます。

よく知られるように仏教では、
「女三界に家なし」とか
「女は救い難し」といった言葉が出てきます。

女には安住の地はない。
女は救いようがない。
つまり、それだけ女性は業が深いということです。

たいていの女性はひどいことをいわれていると思うでしょう。
だから戦前の日本は男尊女卑だったのだと言いたくもなるでしょうね。

でも、少し冷静に考えてみたいのです。

これはね、私自身、女に生まれているから、分かるんです。

女性には、か弱さを前面に出して正当化したり、
周囲を支配しようとする面がある。

だから、武士の家でも女子教育が非常に厳しかったのは納得できます。

武家の娘は泣いてはいけない、
泣くと「それでもサムライの娘か」と厳しくしつけられるのもよくわかるのです。

 

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もちろん男の愚かさもありますが、女の愚かさには毒がある。

私はそういう女性特有の性質に対して嫌悪感がありましたね。

 

愚かな自分を見ているもう一人の自分

 

私には子どもの頃から、まるでもう一人の自分が少し離れたところから自分を見ている感じがあって、

自分を守るために嘘をついたり、誤魔化したりすると、もう一人の自分が、

「ずるいなあ、おまえの魂胆は知っているぞ」

というふうに語りかけてくるんです。


こういう調子で自分の中の醜い部分がつねに見えていたので、
少しは良い人間になりたいという切望があったのです。

 

『乙女の心得』の中にも書きましたが、

20代そこそこの頃、女として着飾ったり流行を追いかけている自分に
ほとほと嫌気がさしてしまったんですね。

そこで、お化粧もほとんどしない、おしゃれもしないで、
どれだけ自分が堂々としていられるか試したのです。

けっきょく見つけたのは「たいしたことのない自分」でした。

自分の至らなさ、つまらなさ、くだらなさから逃げたくて
いろんなことやってきたけれども、
逃げないで、くだらない自分、至らない自分を認めてしまった。

20代の私にとって、これは勇気の要ることでした。

そして、未熟でどうしようもない自分に気づいた日が、成長の第一歩となったのです。

 

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母となって知った観音様の慈悲心

 

そして結婚し、子供を産んで育てる中で分かったことがあるんです。

私はもともと子供があまり好きではありませんでした。

でも授かり、産むからには責任を持って育てなきゃと思って、
妊娠中から子育てについて真剣に考えはじめたわけです。

 

そして実際に子供が生まれたら、これは生半可なことでは駄目だぞというので、
妊娠中から年子の下の娘が三歳を迎えるまでの約6年間、
いっさいの仕事を断って夢中で育てました。

気づいてみると、祖母から躾けられてきたように子供に対している自分があったのです。

よく武家の躾は、「獅子の子落とし」といって、
獅子が深い谷に子供を突き落として躾けるように育てると言われますが、

子供に強く生きぬく力を授けるために、愛情を持って包み込むのと同時に、
ここぞというときにはものすごく厳しくする。

私もやりましたが、大変でした。

子供はかわいいもの。甘やかすほうが楽です。
かわいい子に厳しくしなきゃいけない、あの辛さ。

そこを乗り越えて子育てしたからこそ、
私はこの子たちのために死ねる、と思いました。

 

自分のすべてを子供のために使ってもいいと思えるぐらい
大事な存在なのだと気づいたときに、
これが母性であって、観音様の慈悲というのはこれかと思いました。

 

兵士たちの最後の言葉「お母さん」

 

そういう気づきがあって、昨秋、『五月の蛍』(内外出版社)というノンフィクションを書いたのです。

これは、大東亜戦争のとき、神風特攻作戦に異議を唱え、
夜襲攻撃隊を編成して戦った芙蓉部隊を率いた指揮官・美濃部正少佐の物語ですが、

私は美濃部少佐や大東亜戦争を戦った男達の姿と共に、女性の存在を書きたいと思った。

戦時の女性というと、被害者的な描かれ方をした作品はいくらでもあるけれども、

当時の女性たち、母たちが、どんな思いで兵士たちを送り出し、支えたのかは意外に描かれていないんです。

だから、そこをきちんと正直に、そして丁寧に描きたいと思ったのです。

五月の蛍

特攻隊が最後に「お母さん」と言って死んでいったことは誰もが知っていますね。

私も知ってたけれど、ほんとうに理解できたのは去年、この本を書いてからです。

私の子育て経験を重ね合わせながら、兵士達の母の想いに寄り添っていった。

そうすることによって、やっとわかったんです。

ああ、そうだったのか、観音様の慈悲に通じる母性愛が、強い日本兵たらしめたのだ、
だから兵士達は、その母のために戦い、最後は「お母さん」といって亡くなっていったのか、と。

芙蓉部隊を率いた若き美濃部少佐は本当に立派な方でしたが、その背後にはお母さんの姿があったし、
奥さんの姿もあった。芙蓉部隊の一人一人の隊員にしても、その背後に、お母さんがいたんです。

ここに、女性の本物の美を見いだしました。

 

女に生まれてきて、良かった

 

当時の女性達にあって、今の私たちの多くにないもの。

それは一言で言えば「忍の徳」です。

今は何でも自己主張しなければいけない、
自己PRしなければいけない、
個人の権利、女性の権利をしっかり主張しなければいけない・・・そういう考え方が主流ですね。

でも本来の日本の女性はそうではなかった。

 

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考えても見てください。この子を守るためなら自分の命だって喜んで差し出すことができると想いながら育てた男の子を戦争に出すのです。

自分の身を引きちぎられるような苦しさですね。
戦死しても、泣くに泣けない。私の祖母も長男を戦争で失いましたが、黙って葬儀を出しました。

泣き叫ぶことができなかった時代の女性だからといわれればそれまでです。

でも私は、そうやって黙って耐え抜いた女性たちに、限りない美しさを感じるのです。

大声で泣き叫ばなかったら、この苦しさを誰もわかってくれないかもしれない。

でもそれでも、じっと堪えている・・・。

風雪を侵して咲く梅花は、武家の女性の理想的な姿とされます。

黙って堪えた女性達は、まさに梅花のようではないですか。

今の時代は、そこまで堪えなくてもいいかもしれない。その必要も無いでしょう。

でも、じっと静かに堪えて、そのうえで微笑んでみせる、

そんな女性に私は憧れるし、そうなりたいと思い続けてきました。

そして今、ほんの少しだけ、そういう女性に近づいた自分を感じていて、

たぶん生まれて初めて私は、
女として生まれてきてよかったな、って、実感したのです。

 

新刊『乙女の心得』は、著者自身がさまざま迷いながらも到達した境地も綴られてあり、一行の言葉が染み渡るようなそんな本です。
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