原稿用紙にペンで執筆の時代

 

今から30年前、出版業界に入ってまず感じたのは、

 

著者はすごい、
心から尊敬する!

ということでした。

 

 当時、原稿は、今のようにワープロのデータではなく、
ペラと呼ばれる200字詰め原稿用紙に直筆で書かれていました。

 

書き上げられた原稿は、1冊分600枚〜800枚。
著者も私たちも風呂敷に大事に包んで運んだものです。

 

 

新人編集者は、原稿を触らせてもらえるのに2、3年はかかると言われていました。
ですが私の勤める出版社は中堅どころでもあり、先輩編集者が2名入院中で、いきなり触らせてもらえました。
といっても、原稿のコピーでしたが。

 

赤ペンを片手に思ったこと

 

赤ペンと鉛筆を持って、原稿整理という作業に入ります。

 

対象読者に十分に伝わる内容であるか、
テーマに沿って構成はなされているか、
表現に問題はないか、

 

等々の観点から、辞書を片手に鉛筆で疑問出しをおこない、
明らかな修正箇所や印刷所への指示については、赤字を入れていきます。

 

 

この作業をしながら、いつも頭によぎったのが、
ここまで文章を書いていくのに著者がどんなに苦労をしたかということでした。

 

自分の考えを世に問うということは大変なことです。
それを十万字以上の文章によって表現するのですから。

 

よくぞ最後まで完成されましたね、と。
私はその事実だけで、頭が下がりました。

 

 

頭が下がれば下がるほど、編集者である私には欲が出てきます。
ここまで頑張られたのだから、もっと良くしたいと。

 

それで、鉛筆書きも、赤字もどんどん増えて、真っ赤っかということも。

 

やっと書き上げたら、今度は編集者からのダメ出しという苦難

 

そう。著者には、やっと原稿を完成させたと思ったら、
編集者からの駄目出しという苦労が再び押し寄せるのです。

 

そうして削いで、練って練って練り上げて完成するのが、書籍です。

 

 

今すべての編集作業を終え、印刷に入った『母親はみな一生懸命』も
著者の大森弘氏と編集担当の内山との間で何度も原稿のやり取りをし、
細かな表現部分まで慎重に検討を繰り返しました。

 

母親はみな一生懸命 愛情がからまわりしないための35のポイント

どんなに著名な作家でも、自分の著書には限りなく愛着を持っています。

 

それは、書籍になるまでに限りない苦労があったからこそ。

 

コンピュータによる進行が当たり前になった現在ですが、
自力で書かれる著者に対しては、

すごい、
心から尊敬する!

という感覚だけは、まったく変わらない私です。

 

 

(良本和惠)