江戸市内に貸本屋が656軒
1軒の貸本屋には、得意先が平均170世帯

江戸後期、1808年の記録です。
ちょうどその頃の様子を、私の会社のそば、
日本橋三越本店前の地下道で見ることができます。

「熙代勝覧」(別名、日本橋繁盛記)という絵巻物が複製して掲げられているんです。

 

日本橋の南詰めから神田今川橋までの表通りの様子が描かれ、
その長さ、16メートル!(複製は実際の絵巻の1.3倍です)

この中に、書肆や書林という看板が三つ。本屋です。
当時は本屋が編集から印刷・製本、流通まで行っていたといいますから、
書店兼出版社ですね。

 

 

須原屋という文字が見えますか?
江戸の大手出版社・須原屋茂兵衛から暖簾分けした須原屋市兵衛の店です。
杉田玄白の『解体新書』(「ターヘル・アナトミア」の翻訳書)
をはじめとして、画期的な本を出しています。

 

しかし、当時の本は出版部数も少なく、
庶民が気軽に買えるお値段ではなかったとか。
そこへ出てきたのが、貸本屋。
主として、下の絵のような格好で行商したそうです。

 

 

貸本屋の背中には、
教養書から戦記物、洒落本まで。
底には春画が入っていたのかもしれませんね。

 

この絵巻には描かれていませんが、
日本橋から徒歩数分の江戸橋一丁目あたりには、
書物問屋が集中してあったといわれています。

 

これだけでも、江戸の人々は読書家が多かったことがわかりますね。

 

では、今回はこのへんで。
いずれ、江戸のベストセラーについて書きます。

(良本和惠)