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news | 2021.04.11

「国際派日本人養成講座」で伊勢雅臣著『この国の希望のかたち』が紹介されました

読者4万人のメルマガ「国際派日本人養成講座」4月11日付で、伊勢雅臣先生自らが『この国の希望のかたち』を紹介してくださいましたので、以下にその全文を掲載させていただきます。

本

ーーーーーーーー以下は、伊勢雅臣先生による記事内容

■1.希望を持てない若者たち

 

「とにかく、この国には希望がない」とは、今回の新著のきっかけとなった言葉でした。グッドブックス社の代表取締役が、企画の打合せをしている際に言われた言葉です。

 

 この言葉には私もまことに同感でした。私自身の若い頃は、同僚たちも「こんな仕事をやってみたい」「こんな車を買いたい」「結婚して、郊外に家を建てて、子供は3人欲しい」などと、いろいろな希望を持っていました。

 

 それが、昨今の若者と接していると、どうもそういう若々しい希望を持ってるようには見えないのです。生活のために就職はしましたが、「こんな仕事をやってみたい」と熱く語る姿は見かけません。家庭を持つ事に対しても、いずれ良い出会いでもあれば、と冷めた態度が一般的のようです。

 

 日本の若者が希望を持てていない、というのは国際的な調査でも裏付けされていました。内閣府による2018年度の「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」によれば、「自分の将来は明るいと思いますか」という設問に、「明るい」「どちらかといえば明るい」と答えた日本の若者はわずか30.9%。

 

 アメリカ(67.6%)、スウェーデン(62.0%)、ドイツ(60.7%)、イギリス(56.7%)は言うまでもなく、韓国(41.0%)にすら引き離されて最低です。

 

 韓国では受験戦争の激化、若者失業率の増加、自殺率の高さなどから「ヘル・コリア(地獄の朝鮮)」などと同国内では自嘲した言い方までされていましたが、その韓国よりも、さらに多くの日本の若者が、自分の将来は暗いと考えているのです。

 

 

■2.「自分の将来は明るいと思う」若者の率は先進国最低

 

 若者たちが希望を持てないという事は、国家にとって重大な問題です。人生100年と言われる時代に、若者たちが希望を持てないまま、これからの長い人生を歩まなければならない、というのは誠に残酷なことです。国家全体としても幸福な国づくりを進めるには、若者の志が原動力であり、希望を持てない若者には若々しい志も持てないでしょう。

 

 このような「希望のなさ」はどこから来るのか、どうしたら若者が希望を持って、生き生きと自分の人生を歩み、また自分の一隅を照らす志が持てるのか、という問題意識から、『この国の希望のかたち』という本が結実しました。

 

 その結論として、現代日本が「近代物質文明」の「悪しき優等生」となってしまっている現状を脱皮して、最新の科学技術と我々の先人たちの智恵を融合した新しい文明を作らなければならない、というところから「新日本文明の可能性」という副題が生まれました。

 

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伊勢雅臣『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』4/13発売

 

 日本は近代物質文明の”悪しき優等生”。首都への人口集中は先進国で最悪。第一次産業はあと20年で消滅の危機!? もはや明治以来の西洋文明追従は限界!

 科学技術の成果を踏まえつつ、縄文以来の日本の特性に立つ持続可能な発展のあり方を提示した日本復活へのグランドデザイン。

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■3.かつての庶民の幸福な光景

 

 現代日本の「希望のなさ」はどこから来るのか、近代物質文明を取り入れる以前の先人たちの生活と比べるとヒントが得られます。幕末から明治初年にかけて多くの西洋人たちが日本にやってきて、日本人の幸福そうな暮らしぶりについて様々な記録を残しています。

 

 例えば、明治初年の庶民の生活ぶりを、米国の女性旅行家イライザ・シッドモアが、ある漁村の光景として活き活きと描いています。

 

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日の輝く春の朝、大人は男も女も、子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。・・・・・・漁師のむすめたちが脛(すね)を丸出しにして浜辺を歩き回る。藍色の木綿の布きれをあねさんかぶりにし、背中に籠をしょっている。子供らは泡立つ白波に立ち向ったりして戯れ、幼児は砂の上で楽しそうにころげ回る。・・・・・・

婦人たちは海藻の山を選別したり、ぬれねみになったご亭主に時々、ご馳走を差し入れる。あたたかいお茶とご飯。そしておかずは細かにむしった魚である.こうした光景すべてが陽気で美しい。だれもかれも心浮き浮きとうれしそうだ。(渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社)

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 幕末に来日した米国の初代駐日公使タウンゼント・ハリスも、同様に庶民の幸福な暮らしぶりを見てでしょう、「私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果してこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる」と日記に記しています。

 

 

■4.現代日本が失った共同体の和、自然との和

 

 この海岸の光景には、現代日本からは失われたものが二つ見てとれます。第一が共同体の和、第二が自然との和です。

 

 第一の共同体の和とは、家族や地域の中での暮らしぶりとして、この光景から明らかです。泡立つ白波に戯れる子供ら、海藻を籠にしょって運ぶ娘たち、ご馳走を差し入れるおかみさんたち、濡れ鼠になって働く男たち。この光景には登場しませんが、お年寄りも家で子守をしたり、裏の畑を耕しているのでしょう。

 

 幼児からお年寄りまで家族と地域に包まれ、その中で支え合って生活していく。そのような共同体の中での和が、幕末までの日本社会には豊かにあったのです。

 

 現代の若者が明日の収入にも不安を抱き、結婚もできずに寂しくワンルームマンションに住み、一人でコンビニ弁当を食べ、職場では友達づきあいも乏しく、短期目標のストレスばかり受けている、こういう暮らしには他者との豊かな繋がりがありません。

 

 進化人類学は人間は群生生物、すなわち群れの中で暮らしてきた生物として進化してきたことを示しています。そして群れの中で和を維持するために、人間は他者への思いやりを本能として発達させました。すなわち人間が生きがいを持って幸福に暮らすには、共同体の中で支え合って生きていくことが不可欠なのです。

 

 漁村の光景にあって、現代日本からは失われた第二の忘れ物は、当時の人々が当然としていた自然との和です。人々は自然の中に生かされ、自然に感謝し、自然を畏れ敬って生きています。共同体自体が、自然に包まれ、自然の一部として生かされているのです。

 

 この人間と自然との和も、現代物質文明によって疎遠になりました。密閉されたマンションやオフィスの中で、エアコンで一定温度が保たれ、通り雨にも気がつかない生活になりました。

 

 人間は大自然の中で生まれ育てられてきた生物である以上、近代物質文明によってこれほど自然と切り離されると、心の和む生活は営めないようです。

 

 共同体の和、自然との和に包まれて我が先人たちは幸福な生活を送っていたのですが、明治以降、西洋から近代物質文明を急速に取り入れる過程で、この二つの和を忘れ去ってしまったのです。

 

 

■5.近代物質文明の両輪、グローバル化と都市化

 

 近代物質文明の両輪が、グローバル化と都市化です。グローバル化の典型が大英帝国が構築した「大西洋の三角貿易」で、アフリカから拉致した奴隷を北米大陸南部に輸入し、彼らを大規模プランテーションで働かせて綿花を作り、それをイギリスに持ち込んで綿製品とします。その綿製品をアフリカに売って、奴隷の代金とするのです。

 

 また綿糸から綿布を作るために自動織機を開発し、大量生産を始めました。これが産業革命の発端です。その織機を都市の工場に並べ、地方の農民を大都市に呼び寄せて、作業させたのです。これが近代の都市化です。

 

 西洋文明で始まったグローバル化と都市化を、近代日本は大車輪で学びとり、高度成長期を通じてその最優等生となりました。

 

 例えばグローバル化の指標としてエネルギー自給率を見てみると、わずか9.6%と、OECD加盟36カ国の中34位です。麦や米などの穀物の自給率では、日本は24%。食糧輸出国であるアメリカ126%、フランス190%は別格としても、イギリス87%、イタリア82%と欧州の平均的な国と比較しても段違いに低いのです。

 

 価格さえ安ければ、エネルギーでも食料でも輸入に頼れば良いという、グローバル化の最先端を現代日本は走っているのです。そのしわ寄せを受けて、国内の農林水産業は衰退しました。農業、林業、水産業とも、このまま従事者の高齢化と減少が続けば、あと20年ほどで消滅してしまいます。

 

 都市化に関しても「主要都市圏の人口が国全体の人口に占める割合」を見ると、東京圏の28.8%に対し、パリ18.2%、ロンドン13.4%、ニューヨーク7.4%、ベルリン4.3%です。

 

 日本に比べれば、欧米諸国は相当程度の人口が地方の中小都市に分散し、そのため通勤時間もはるかに短く、それだけ家族や地域の共同体の中で暮らす時間も長くとれますし、自然との距離も東京や大阪など日本の大都市ほどはありません。

 

 行き過ぎた都市化によって、若者が出て行ってしまった地方では、高齢化、過疎化が進み、地域の共同体は崩壊しつつあります。同時に、大都市では隣の人と言葉も交わさないマンション住まいが普通で、地域共同体は生まれ難い状況です。

 

 日本人の幸せを支えていた共同体の和と自然との和は、近代物質文明のグローバル化と都市化の両輪によって、踏み潰されてしまったのです。

 

 

■6.近代物質文明の行き詰まりがもたらした多くの問題

 

 現代日本が近代物質文明の「悪しき優等生」になってしまったことで、様々な経済的、社会的問題が生じています。

 

 前述の極端に低い食料自給率やエネルギー自給率は、安全保障上の大きな問題です。東シナ海で一朝事あれば、すぐに深刻な食糧危機、エネルギー危機に見舞われます。

 

 食糧に関しては、膨大な輸入をしている一方で、未利用農地と荒廃農地は合わせて65万ヘクタール。耕地面積全体の15%、栃木県よりも広い農地が活用されていないのです。水産業でも、我が国は世界第6位の広大な排他的水域を持ち、その中には三陸沖などの世界でも屈指の好漁場が含まれています。しかし乱獲によって、漁獲高はかつての三分の一まで激減しています。

 

 エネルギーに関しても、石油や石炭は再生可能ではなく、太陽光など「自然エネルギー」に頼るべき、と主張されていますが、日本の国土への適合性も考えなければなりません。太陽光発電は土地も広く、日射量も多い砂漠・乾燥地帯に適合したシステムであり、平地が少なく雨が多く、しかも頻繁に台風に襲われて太陽光パネルが吹き飛ばされかねない日本列島には適合しないのです。

 

 それよりも急峻な山地に大量の雨が降り注ぐ日本列島においては、水力こそ最適な自然エネルギー源です。発電ダムを新たに作る時代ではありませんが、全国にすでに2万箇所ほどある砂防ダムなどに発電施設を設置すれば、3500万人分の電力が得られるとの試算があります。

 

 さらに潮の満ち引きや黒潮などの海流のエネルギーで、海中のプロペラを回す潮流発電、海流発電の技術開発も着々と進んでいます。

 

 我々が受け継いだこの日本列島は、美しい緑に覆われ、豊かな海に囲まれた、世界でも恵まれた国土です。それを放置荒廃させて、我々は食糧やエネルギーのグローバル調達に頼っているのです。同時に、行きすぎた都市化によって、大都市に過密状態で住み、美しい自然から切り離された生活を送っています。

 

 我々の先人たちは、この豊かな日本列島の自然の恵みを十二分に活用して、自然との和の中で暮らしていました。我々も、最新の科学技術を使いながら、自然との和に包まれた生活を取り戻すべきなのです。

 

 

■7.目指すべき「希望のかたち」とは

 

 こういう本質的な問題が放置されている一方で、人口減少が大きな問題であるように騒がれています。それが真の問題かどうか、まず幕末の頃、3千万人だった日本の人口が、150年ほどで9千万人も爆発的に増えた事実から捉え直さなければなりません。

 

 今後100年で5千万人までに減るというのは、国土の身の丈に合った人口規模に戻っていくこと、と捉えることもできるのです。そして、その程度の人口なら、もともと豊かな国内の農地や山林、海を十分に手入れをして健全な農林水産業を再建すれば、自給自足に近づけます。

 

 人口減少に付随する高齢化に関しては、元気なお年寄りが増えることは、誠にめでたいことです。健康寿命を伸ばして100歳までも元気で働けるようになれば、医療費の問題も年金の問題も解決します。健康寿命を伸ばすための技術や医療制度の開発こそが鍵なのです。

 

 少子化の本当の問題は、未婚率の上昇です。「30~34歳」の男性の未婚率は1970年にはわずか11.7%だったのが、2010年には47.3%にもなっています。未婚男性の約85%は「いずれ結婚するつもり」と答えながら、結婚への障害として挙げられている理由の第一が「結婚資金」、第二が「結婚のための住居」です。

 

 そしてこの未婚率の上昇が少子化の原因の90%を占めているのです。結婚したい男女が結婚して、住宅費も生活費も安く自然の豊かな地方に住み、祖父母世代とも助け合いながら、広い住居で家族生活と子育てを楽しむ。そういう暮らしが実現できれば、若者たちも自分の人生にもっと希望を持てるでしょう。

 

 そんな幸福な生活を、幕末までの日本人は実現していたのです。行き過ぎた近代物質文明の袋小路で、そろそろ我々は今後の進むべき方向を変えていかなければなりません。

 

 もちろん近代物質文明の優れた科学技術は十分に活用する必要がありますが、それらを使ってどのような暮らしを追求するのか、という「希望のかたち」を再考する必要があるのです。

 

『この国の希望のかたち 新日本文明の可能性』ではこのような問題意識にしたがって、我々が向かうべき新文明のグランド・デザインを描いてみました。この150年間、日本人ががむしゃらに追従してきた近代物質文明の本質を見直し、その良い点は生かしつつ、変えるべき点は変えていく、という叡智が求められていると思うのです。

                                        (文責 伊勢雅臣)

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この記事の作成者:良本和惠(よしもと・かずえ)
書籍編集者。1986年人文社会系の出版社で書籍編集者としてスタート。ビジネス系出版社で書籍部門編集長、雑誌系出版社で月刊誌副編集長をへて独立。2013年夫と共に株式会社グッドブックスを立ち上げる。趣味は草花や樹木を眺めること。