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news | 2022.09.17

現代ビジネスで『ママがいい!』が紹介されました

ドイツ在住の作家の川口マーン惠美さんが、講談社のネットマガジン「現代ビジネス」(2022年9月16日号)において、
自身の連載の中で、『ママがいい!』を大きく取り上げてくださいました。

記事タイトルは、「『子育て』という仕事が社会的価値を失い、保育がビジネス化される日本に“未来”はあるか」

川口さんは、本書について、「今年読んだ本の中でもっとも啓発を受けた本」「稀に見る貴重な書」だとして、

『ママがいい!』著者の松居和さんの文章を時々引用しながら、
いま、急速に進みつつある保育現場の崩壊、親の意識の変化、それがもらたす社会の問題について
ドイツにおける事情も交えて、作家らしい感性で、みごとな書評を展開されています。

ぜひ多くの方に読んでいただきたく、以下に掲載させていただきます。
(現在、無料購読期間中。期間が終わると削除いたします)

 

現代ビジネス『ママがいい!』紹介

「子育て」という仕事が社会的価値を失い、保育がビジネス化される日本に“未来”はあるか

川口マーン惠美

 

現在の「正しい生き方」への疑問

人間には生まれながらの基本的人権があり、それを侵してはならないことは当然だが、しかし、個体にはさまざまな差がある。知的能力の差もあれば、運動能力の差もあるし、健康な人もいれば、病気の人もいる。音楽や絵画の才能、あるいは優しさや勇気や、美醜の差と、一つたりとも同じではない。

それなのに最近では、差は一切ないように振る舞うことが正当だとされている。オリンピックや、音楽コンクールなどでの熾烈な戦いは別世界の出来事で、一般の人間の間では競争は悪いことで、能力の差もあからさまには認めない。

「同じ仕事に対して同じ報酬を」という主張はある意味正しいことだが、「同じ仕事」というのが、同じ時間そこにいたことを指すのか、こなした仕事量が同じという意味なのか、それを定義することが難しい。

しかも最近では、その一切の差を否定する風潮がさらに進化し、自然なことであったはずの男女の性差までが、認められないこととなりつつある。

子孫を増やすということは、つい最近までは人類にとっての最重要事項であり、子供を産めるのは女性だけで、おっぱいをやって育てられるのも女性だけだったから、それに基づいて自ずと男女の役割が決まり、生活のパターンが出来上がっていった。

古代よりついこの間まで、子供を産み、その子供を育てることが差別だと感じていた女性がいたとは思えない。今でもおそらく少ないだろう。男性は男性で、子孫を残すというその最重要事項を完遂するため、やはり当然のこととして、彼らなりの役目を果たしてきたのである。

ところが現在の風潮では、女性は出産後、1日も早く赤ん坊を託児所に預けて社会復帰することが「正しい生き方」となっている。

実際、女性には子供を産んで育てること以外にもさまざまな才能が備わっているので、本人がそれを発揮することを望み、そこに生きがいを見出すなら、もちろん、子育てを早々に他人に任せることに反対する理由は全くない。子供の発達に重篤な皺寄せがいかない限り、それは個人の自由である。

ところが、私が疑問に思う点は、現在、特にヨーロッパの西側諸国では、出産後、しばらく自分で子育てをしたいなどと言い出す女性は、“自己実現を求めない遅れた女性”とされてしまうことだ。今では、妊娠したいかどうかは女性が自分で決められるし、妊娠を無かったことにする自由も女性にあるというのが常識だ。

女性の権利は、ある意味、有史以来最大になった。しかし、その分、なぜか子育ての価値は地に落ち、子育てを自分でしても、それは社会的活動でも社会貢献でもなく、あたかも失われた能力、あるいは、失われた労働力と見做されるようになってしまった。

これは、子育てがお金をもたらさないからだろうか。もし、そうだとすれば、女性が子供を育てながら、この「お金で測られる世界」に参入すること、あるいはしなければならないことは本当に正しいのか? それが、私がかねがね感じている疑問だ。

 

欧米のあとを追う日本への警鐘

最近、『ママがいい! 母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ』という本を読んだ。私にとって、今年読んだ本のうち、考えさせられたという意味ではトップ3に入るほど重要だった。あるいは、私が漠然と感じていたことを、現場の取材、あるいは統計を使って、ちゃんと代弁してくれた本というのが正しい感想かもしれない。

育児・教育関係の本なので、著者の松居和氏は女性かと思ったら、1954年生まれの男性だ。肩書きは音楽家、作家、元埼玉県教育委員長となっている。

氏のライフワークとなっているのが、「先進国社会における家庭崩壊」、「保育者の役割」に関する講演を保育・教育関係者、父母を対象に行い、欧米のあとを追う日本の状況に警鐘を鳴らすことだという。同著を読むと、今、どうにかしないと、日本は大変なことになるという氏の危機感がもろに伝わってくる。

「義務教育や福祉が『子育て』の肩代わりを始めると親に忍耐力が育たなくなり家庭崩壊が進む」と松居氏はいう。

政府の保育政策は、すなわち雇用労働施策であり、「『エンゼルプラン』や『子育て安心プラン』など美しい言葉の裏で、保護者から親として育つ機会を奪い、母親をパワーゲームへと引き込み、保育がビジネス化されていく」。「親子を引き離す経済優先の労働施策は加速し続け、保育現場はいよいよ後戻りができない一線を越えようとしている」。

その一線というのを、松居氏は、国の「専門家」会議のメンバーが定めた11時間保育としている。彼らは、「子ども・子育て支援新制度」という名で、11時間保育を「保育標準時間」としたのだ。「五歳までの幼児期に、これほど親子が離れ離れにされることはかつてなかった」と松居氏。

11時間保育ということは、具体的には、子供を見ている保育士が毎日1度交代する。2人目は無資格でもよいという。こうして子供をたくさん預かる街が「子育てしやすい街」だ。今や保育は政府によってサービス業と位置付けられ、「制度の設計次第で巨大な新市場として成長の原動力になりうる分野」になった。

ただ、子供の利益がどこにあるのかは、まるでわからない。「三歳未満児を標準十一時間保育所で預かれば女性が輝く、と言ってしまった政府」に対して、氏が同書の中で鳴らしている警鐘に、私は真摯に耳を傾けたいと思う。

さらに驚いたのは、政府が待機児童対策の切り札として始めた「企業主導型保育園」の話。ネットには、「起業したい、独立したいというあなたの夢をかなえます」という宣伝文句で、「保育園開業・集客完全マニュアル」を提供するコンサルティング会社の広告が出ているという。

「保育は、『何から、どう始めていいかわからない人』、『いままで保育園経営などにまったく興味のなかった方』、『不安でいっぱいの人』がマニュアルを読みながら始める仕組みではなかったはず」と松居氏は憤る。

 

日本のさらに一歩先を行くドイツ

氏が指摘されているこの風潮が、一歩先に進行してしまっているのがドイツだ。以下は、拙著『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』からの抜粋。

〈 左派的な考え方の人々は、子育てをする女性のことや、男性と互角に働こうとしない女性のことを、差別されているように決めつける傾向があります。あるいは「意識低い系」のスタンプを押す。

特にドイツでは、子育てという仕事が社会的価値を失いつつあります。学校卒業後は、女性もそこで学んだ職業を実践できるところに就職し、子供ができても仕事は辞めず、引き続き能力を発揮するのが理想の人生とされています。だから、赤ん坊のうちから預けられる託児所を全員に完備するのが政府の目標であり、役目なのです(まだ100%は実現していない)。ただ私は、こういう人生が必ずしも全ての女性にとって理想の人生だとは思っていません。

それでも、現在の若い女性はこのような教育をうけ、そういう価値観にすっかり染められていますから、妊娠中から託児所を探し、産休が終わったら職場に復帰して、家庭と仕事を両立しようと張り切っている。しかしそんな女性が、いざ、子供が生まれると可愛くて可愛くて、自分のその感情に戸惑ってしまっている様子を、私は何度か目にしました。

それでも彼女たちは「なぜ早々に職場に復帰することがいいと思っていたんだろう」と自問しながらも、母乳を止めて職場に復帰していきます。それが悪いというつもりは、毛頭ありません。ただ、職場に戻らないことが悪いとも、私は思わないのです 〉

〈 女性が男性と同じことをするようになり、本来の女性の仕事と、本来なら男性の仕事だった仕事の両方を背負ってしまったのが、仕事と家庭の両立の実態です。そして、女性には実際、家庭以外の能力も備わっていますから、それが喜びにもつながったし、社会の新しい発展にも寄与した。

さらにいうなら、これを最大に利用したのが社会主義でした。彼らは女性の労働力を最大限活用し、そのために託児所を完備しました。

子供をなるべく早く家庭から引き離し、集団で教育することは、国家の思想を次世代に隈なく浸透させるという目標に、完全にマッチしました。今でも社会主義的な考えの政党が託児所の整備に熱心で、保守政党は、せめて幼稚園までは家庭に置いておく選択肢も残そうという考えです 〉

 

子供は国家の未来だから

私は、「意識低い系」だったのか、何の疑問もなく家に居て子育てをした。

今から振り返れば、手抜きをしすぎたし、間違ったと思うことも山ほどあるし、自分の子育てが大成功だったとは思ってはいないが、でも、それを棚に上げて言わせて貰うなら、子育てというのは本気でやれば非常に面白く、かつ、やりがいのある仕事になりうるということだけは確信している。

それどころか、子育てが上手く行った場合の社会に対する貢献度は、そこで失われた母親の労働力を補って余りあるケースも稀ではないと思っている。だから、少なくとも、自分の手で子育てをしたいと思っている人たちが、引け目を感じることなしに家に居られる環境は作るべきという意見だ。社会貢献は、お金に換算できるものばかりではない。

松居和氏の著書の『ママがいい!』というタイトルは、1週間の慣らし保育のあいだに泣き叫ぶ子供たちの声だ。しかし、0歳から預ければ「ママがいい!」という言葉さえ存在しなくなると、松居氏は言う。

子供は国家の糧であり、未来だ。子供たちを疎かにしていないかどうか、もう一度じっくりと考え直すためにも、同著は稀に見る貴重な書である。

 

 

 


この記事の作成者:良本和惠(よしもと・かずえ)
書籍編集者。1986年人文社会系の出版社で書籍編集者としてスタート。ビジネス系出版社で書籍部門編集長、雑誌系出版社で月刊誌副編集長をへて独立。2013年夫と共に株式会社グッドブックスを立ち上げる。趣味は草花や樹木を眺めること。