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blog | 2017.01.04

がんを自ら告知されて分かったこと ~がん治療コーディネーター藤岡典代さんに聞く(1)

もしも自分ががんの告知を受けたとしたら……。 想像はできないけれど、きっと天地がひっくり返るほどの衝撃を受けるに違いありません。
今回、お話をうかがうのは、がん治療コーディネーターとして多くの末期がん患者さんたちを心理面から支えてこられた藤岡典代さんです。『最期の晩餐~がん治癒のターニングポイント』の著者でもあられます。
昨年の秋、藤岡さん自らが肺がんの告知をされ、療養中のところ、同じ病気で悩む方々やご家族のために、その体験を交えながら、がんへの向き合い方をお話しくださいました。

極度のストレスと、がんの発症


──がん患者さんに最後まで寄り添ってこられた典代先生自らががんを告知されたと聞き、本当に驚きました。

4月に熊本大震災が起きて、尋常でない毎日を送ってきました。
思い返してみると、異常な疲れを感じておかしいなと思うことはあったのですが、目の前に突きつけられた仕事を無我夢中でやっているうちに、自分の中で起きている大きな異変を見逃してしまったんですね。

──震源地の益城町は隣町ですから、地震による被害も相当で、にもかかわらず、地域住人のためにすぐさま炊き出しを始めておられますよね。

しましまの木(藤岡典代さんがオーナーを務めるカフェとお菓子のアトリエ)の屋根瓦は落ち、中はいろんなものが飛び散って悲惨でしたが、幸いしましまの木も藤岡医院も、建物は崩れませんでしたから、自分たちにできることをやろうと必死で動きました。
院長である夫は、入院患者さんをワンフロアーに集め、他のフロアーには一人暮らしのお年寄りが過ごせる場所をつくり、
私は、炊き出しの応援に駆けつけてくださる方々への対応、全国からの支援物資の対処、それに、地震の影響による鬱や不安神経症などを抱えた人が次々と相談に見え、休む時間もなく、それまで自己治癒力で押さえてきたものが震災を機に一気に吹き出たのだと思います。

──著書の『最期の晩餐~がん治癒へのターニングポイント』には、何でも引き受けてしまう人ががんになりやすいと書かれてあります。

その通りです。私自身、どうすれば健康に戻れるのか、どうすれば病気にならないのかという方法は知っていたにもかかわらず、実践者ではなかった。それを病気になることで証明してしまったわけです。

しかし、本に書いてあることには間違いはないし、その信念は変わらない。やれてなかったから病気になった。でも今は、けっこう優秀な実践者ですよ(笑)

藤岡典代さん

がん患者さんの恐怖や不安を自ら味わう


──ご自身ががんを告知されたときの心理状態はどうだったのでしょうか?

ひと月ぐらいは尋常でない精神状態が続きました。
これまでカウンセラーをやってきた私でも、普通の患者さんが感じられるような、恐怖や不安も経験しました。
まさか自分が病気になって、恐怖心を味わうなんて思ってもみませんでしたし、究極のストレス状態というのか、恐怖や不安と戦うために、何かをせざるを得ない衝動にかられるんです。怖いから何かにすがりたい。「どんな犠牲も払いますので、どうか神様助けてください」と、神様と取引をしているような時期もありました。

自分でもおかしかったのが、副作用が軽減したら、あれも食べたいこれも食べたいと、食べ物への執着が出てきて。食事の後に、小さなパンを食べていると、夫が「まだ食べるのか」と言ったんですね。そのとたんに感情が爆発するということも経験しました。

いつの間にかなくなっていた夫婦の対話に変化


──旦那さんである院長先生はどうだったでしょうか?

診断が下されたときの夫の驚きようと言ったら……。
何かせざるを得ないという感じで、統合医療の知識を総動員して、サプリメントを勧めたり、しょうが湿布や里芋湿布などの手当をするとか、西洋医学をやっていた人が、これがいいかもしれない、あれがいいかもしれないと、良いと思えるものは何でもやってみようという感じでした。

──統合医療の研究を長年やってこられた院長先生のこと、最高の統合医療をと思われたんでしょうね。ところで、夫婦の関係に変化はありましたか?

じつは、夫とは、これまで同志としてやってきたけれど、夫婦としてゆっくり接する時間がなくなってきていたのです。これからの人生についてもっと語り合いたいと思っても、相手が多忙なので、言えない。本当は助けてほしいのに助けてと言えず、助けてあげたいのに助けてあげましょうかと言葉もかけられない。そういう夫婦になってしまっていた。
こんな時間が続くと、人間て、何をどう話せば良いのかわからなくなるもので、だんだんと夫婦としての対話を封印してしまっていたのです。

だけど、病気になって、いちばん身近にいる夫の大切さ、対話をすることの大切さを気づかされた。対話を通して、この人こんなに優しかったんだとか、私のことをどんなに思ってくれているかを知ったし、実際にがんになると、私も怖いんだ、人間なんだと素直に認めることができたのです。そういうときに家族がそばにいて寄り添ってくれることがどんなにありがたいか、しみじみ実感しましたね。

病気のことをオープンにすることの大切さ


──診断が下されて、周囲の方々へ病名を告げるのに葛藤はありませんでしたか?

周りに病気のことを隠すつもりはなかったのですが、これまで患者さんの相談に乗る立場だった私が病気になったことで患者さんが裏切られたような感覚になりはしないかという心配はありましたし、がんの本を執筆した本人ががんになって申し訳ないという気持ちもありました。
でも、それをオープンにして、「病気になったけれども私は良くなっていきたいし、これからも患者さんと歩いていきたいので協力してください」とお伝えしました。
すると、皆さん、ほぼ全員が理解してくれ、そんな思いは一瞬にして飛んでいきました。

特に患者さんが受け容れてくれたときは本当に嬉しかったですね。私の中に、患者に寄り添うと言っても、同じ病気になってみないと患者さんの本当の気持ちがわからないのではないかとの思いがあって、どこかでホッとした部分もあるんです。今は患者さんにお会いすると、「がん友だね」って言っているんですよ(笑)
いま、患者さんとはこれまで以上の関係になって、とても心地よいんです。

また、藤岡医院の職員や、しましまの木のスタッフが、私を気遣い、助けてくれるんです。これもどれだけありがたかったか。私がいなくても、しっかり運営ができています。
すると、これだけ皆に任される状態を作ってきた自分を称えようという気持ちにもなるんですね。
私はすべて手放していいぐらいの態勢を作ってきたし、頑張ってきた。そう思えるようになって、これまで私が歩いてきた道のりがすべて療養を助けてくれるほうに働いているんですね。これまでたくさんのことを犠牲にはしてきたけれど、得た物もその分大きかったんだと、しみじみと感じています。

だから、この病気は私に本当に多くのものを気づかせてくれたと思います。
私は今、休養が与えられ、本当にやりたかった、一瞬一瞬を丁寧に生きることができています。これはひとつの恩恵です。

でも、私はがんになって良かっただけではなく、治っていきたいので、今は療養に専念して、心理面でも、治る方向に一歩ずつ進んでいます。

──そのあたりは、また次回のブログに掲載しますので、よろしくお願いいたします。
(聞き手・良本和惠)

藤岡典代(ふじおか・ふみよ)
薬剤師・心理カウンセラー。夫が院長を務める藤岡医院でがん治療コーディネーターとして、患者を心理面から支えてきた。医療の範疇を超えた事業活動をめざして、株式会社テトテトテを設立。料理家の本道佳子さんと共にがん患者と家族のために、病気との決別をおこなう「最期の晩餐・食事会」はメディアを通して注目を浴びる。医院の隣にカフェとお菓子の工房「しましまの木」をオープン、がん患者のみならず、地域の憩いの場として人気が高い。

☆  ☆  ☆

藤岡靖也+藤岡典代著『最期の晩餐~がん治癒へのターニングポイント』

詳細は、こちらから>>>

【関連書籍】

鬼塚晶子著『乳がんと里芋湿布』の詳細は、こちらから>>>

 

 


この記事の作成者:良本和惠(よしもと・かずえ)
書籍編集者。1986年人文社会系の出版社で書籍編集者としてスタート。ビジネス系出版社で書籍部門編集長、雑誌系出版社で月刊誌副編集長をへて独立。2013年夫と共に株式会社グッドブックスを立ち上げる。趣味は草花や樹木を眺めること。